HONDA

令和の時代に、再読する。 『スローなブギにしてくれ』をもう一度。

片岡義男――オートバイ小説の第一人者であり、若者のある種の衝動もった心象風景を描き切る文体は“片岡文学”と呼ばれるほど唯一無二の存在である。

1939年に東京で生まれた片岡氏は、1974年に『野生時代』5月号に掲載された『白い波の荒野へ』で小説家デビュー。その翌年に発表されたのが代表作のひとつである『スローなブギにしてくれ』。この作品で野生時代新人賞を受賞し、直木賞候補となる。

CB 500Four

『スローなブギにしてくれ』に登場するのはホンダCB500。正式名称はホンダ・ドリームCB500Four。1971年に発売された空冷4ストローク2バルブSOHC4気筒エンジンを搭載したロードバイクだ。発売時にカタログの上で踊ったキャッチコピーは「静かなる男のため、CB500(FOR THE QUIET RIDER)」。この一文を目にした時、HAWK 11の「走りの楽しみを忘れない大人のバイク」というキャッチコピーと通じるものを感じた。対外的に絶対的な速度や圧倒的なスペックを誇のではなく、乗るたびに自己と向き合うことができるオートバイであると。もちろんCB500Fourは当時の騒音規制に対応させるためにマフラーの消音対策を強化したことからこのキャッチコピーが生まれているのだが、それをもってしても「楽しさは、数字じゃない」とアピールするHAWK 11と、どこか似通った部分があると感じてしまうのだ。

 

スーパーホークIII

 

 

そして、不思議な偶然なのだが、1981年に公開された映画版の『スローなブギにしてくれ』では、CB500Fourの代わりに空冷4サイクルOHC3バルブ2気筒エンジンを搭載するSUPER HAWKⅢが主人公の愛機として登場する。『スローなブギにしてくれ』という作品には、HAWK 11へと繋がる奇妙な縁があるのかもしれない。

 

ここではCB500Fourが登場する『スローなブギにしてくれ』の中から、オートバイ愛好家の琴線に触れるセンテンスを抜粋し、紹介していきたい。

 

 

スピードメーターの針が、大きく右にかしいでいるのが、一瞬、見えた。

 

 

物語は幕開けとともに疾走する。場所は第三京浜。東京都世田谷区の玉川インターチェンジから神奈川県横浜市神奈川区の保土ヶ谷インターチェンジまでの区間を走る自動車専用の一般有料道路である。窓から猫をほうり投げる白いムスタング・マッハ1をCB500で追う、主人公のゴロー。

 

 

サイドスタンドを蹴りとばしながらアクセルの開閉をくりかえし、ふりかえって後続車のタイミングをとらえ、ぽんとクラッチをつないだ。

(略)

音を頼りに八〇〇〇を三〇〇ほどこえたあたりでホールドした。ギアはすでに五速だ。ミラーのぶれが、不思議なほどぴたりととまっていた。

 

 

スピードメーターの針が、大きく右にかしいでいるのが、一瞬、見えた。眼球を下へ動かすその一瞬が、すさまじくこわい。

風圧に体がばらばらにほぐれて飛んでしまいそうだ。視界のなかにあるものすべてが、うしろへ飛び去っていく。自分もそのなかにまきこまれ、吹き飛んでしまうのではないか。

 

 

左の車線が、すいていた。そちらへうつり、再び、少年はエンジンの回転をひっぱりあげはじめた。サービス・ファクトリーから出てきてまだ間のないこのCB500のエンジンは、気持ちよく噴きあがった。回転のあがりのよさを、ひっぱりで充分に楽しんでから、少年はシフトしていった。

 

 

 

オートバイ。いまだって、オートバイで走れるから、黒磯までいってやるんだ。

 

 

白いムスタングのドアから転がり落ちた女性、さち乃。黒磯(栃木県北部にあった旧市名)までつれていってほしいとゴローに頼み込む。その目的は猫をもらいうけるため。了承したゴローは、さち乃をCB500の後ろに乗せ、タンデムで環七を走り出した。

夜、休憩のために立ち寄った食堂で、はじめてゴローの年齢が明かされる。十八。そして高校は転校させられたと語る。学校にいくのがいやだというゴローに、さち乃は「なにがいいの」と尋ねる。

 

 

ゴローは、テーブルに置いた赤いヘルメットを、タバコをはさんだ指のツメで、軽く叩いた。

「オートバイ。いまだって、オートバイで走れるから、黒磯までいってやるんだ。言っとくけど、猫なんか、どうだっていいんだぞ」

 

 

ここからは前半部の畳みかけるような躍動感は息をひそめ、ロードムービーのような描写が、夜のトーンとともに心地よく流れていく。

 

 

夜の国道に、オートバイはうなりをあげてはじけ飛び、突きぬけていくような疾走をはじめた。

ヘッドライトの明かりの輪のなかを、ライトよりもさきに走りぬけていけるのではないのかという錯覚が、一瞬、楽しめた。

うしろへひっぱられていく自分の体の重みに、ゴローは満足し、微笑していた。

 

 

ゴローは、ぼんやりタバコを喫っていた。オートバイで一気に遠乗りしてくると、しばらくのあいだ体ぜんたいがぼうっとしている。そのあいだずっと、あたりの人や物になじめないのだ。

 

 

オートバイが趣味の人なら、肌感覚で理解できる描写の数々。

 

 

 

夜中すぎ、目的地であるトラック食堂に到着したゴローとさち乃。少女から二匹の猫をもらい受け、再び東京に戻ることになる。走ってきたのとまったく同じコースを、逆にたどる。

 

 

あたりが白っぽくなるにつれて、ゴローは眠くなった。自分の体のなかにある感覚が次々に失われていくようだった。

ハンドル・バーを握っている両手でさえ、なにを握っているのかふとわからなく瞬間があった。そんなとき、道路沿いの広告看板や標識の、なにかひと文字だけが鮮明に意識をさしつらぬいてきては、両手や両足の感覚をゆっくりともどしていった。

 

 

物語はその後、若き男女の倦怠とともに、エンディングへと緩やかに向かい収束していく。

本作を改めて読んで感じたことがある。片岡義男の描写はオートバイが趣味の人なら誰しも――意識をする、しないは別として――肌で感じることであり、机上のスペック的なものでは決してない。だからこそ、時代も交通事情も、そしてオートバイの性能も大きく変わった現在において、まるでその場で体感しているような、圧倒的なリアリティを感じることができるのではないだろうか。

 

最後に。もし『スローなブギにしてくれ』を映画でリメイクするのなら、ゴローが乗るバイクはHAWK 11であってほしい。

オートバイに対する熱い情熱を持つゴローの相棒は、スーパースポーツでもカジュアルなストリートバイクでもなく、大人の懐で彼の衝動を受け止めてくれるHAWK 11こそがふさわしいと思うのだが、いかがだろうか。

本作を久しぶりに再読した後、令和のゴローがHAWK 11に乗って、第三京浜を疾走する姿を自然と思い浮かべていた。

 

 

スローなブギにしてくれ (角川文庫)

作者:片岡義男

出版社:KADOKAWA

発売日:2001/7/21

 

 

【文/Lightning編集部・佐々木雅啓】

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